「奇跡と悲劇の町」から命を守るすべを知る

東日本大震災伝承館レポート②-1釜石市鵜住居町「いのちをつなぐ未来館・釜石祈りのパーク」

東日本大震災伝承施設のうち、岩手県にある3つの施設を訪問しました。この記事では、それぞれの施設で、どのような施設か、体験できることなど、実際に訪問し感じたことをレポートとしてお送りします。まだ伝承施設を知らない人も、これから訪問する人もぜひこちらの記事を参考にしてみてください。

また、東日本大震災伝承施設については  こちらの記事  を参考にしてみてください。

いのちをつなぐ未来館・釜石祈りのパーク

今回ご紹介する施設は、岩手県釜石市鵜住居町にある「いのちをつなぐ未来館」と「釜石祈りのパーク」です。この二つの施設は隣接しています。

釜石の悲劇と奇跡の町、鵜住居町

施設のある釜石市は近代製鉄業発祥の地であり、1963年の最盛期には人口が県下2位の9万人を超えていた市です(現在は3万3千人ほど)。またラグビーの町としても有名で2019年に開催されたラグビーW杯の東北唯一の開催都市でした。

鵜住居町は釜石市北部にある人口4000人弱の小さな町で、町の一部が大槌湾に面しています。

東日本大震災では甚大な被害を受け、JR山田線の鵜住居駅と線路が流失、鵜住居地区防災センター、釜石市立鵜住居小学校、釜石市立釜石東中学校が水没するなどの物的被害に加え、死者・行方不明者583人という人的被害が発生しました。

被害状況はこちらをご覧ください(令和2年7月31日現在)

特に鵜住居町の東日本大震災を語る上では二つの対極的な話が有名です。それが「釜石の悲劇」と「釜石の奇跡」という話です。

鵜住居町にある「鵜住居防災センター」という施設は低地にあり避難場所ではなかったものの、防災訓練の拠点となっていたことから震災当日約150人超が逃げ込み生存者はわずか34人、建物内から69人の遺体が見つかる。という悲劇を生みました。この悲惨な出来事を「釜石の悲劇」と呼んでいます。

一方、「釜石市立釜石東中学校」は津波で4階建て校舎が全て水没する被害を受けました。

しかし生徒たちは震災当日、何度も避難場所を変えながらも高台をめがけ約1.5kmを走って逃げました。さらに彼らは自分たちだけではなく、小学生や幼稚園児の手を引き避難を続けたのです。

残念ながら釜石市では学校外にいた小・中学生5人が命を落としてしまいました。しかし震災当日に学校にいた生徒は全員無事でした。

生徒たちは日頃から「津波てんでんこ」に基づいた防災教育を受けており、一人一人が「逃げる」を実践したことで小学生1927人、中学生999人の命が助かり、生存率は99.8%だったそうです。

この話は「釜石の奇跡」として多くの人に知られるようになりました。


いのちをつなぐ未来館・釜石祈りパークの周辺

いのちをつなぐ未来館と釜石祈りパークは、2019年の3月にオープンした「うのすまい・トモス」というエリア内にあります。

うのすまい・トモスは「東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝えるとともに、生きることの大切さや素晴らしさを感じられ、憩い親しめる場」として、「いのちをつなぐ未来館」「釜石祈りのパーク」「鵜の郷交流館」などの複数の施設を一体的に配置し、地域活動や観光交流を促進する鵜住居駅前エリアです。

「トモス」には復興の明かりを「灯す」「共に」「友」を意味する言葉の響きと、鉄のまち釜石の炉をイメージした言葉で表現しているそうです。うのすまい・トモスについて詳しくはこちら


今回はご紹介しませんが、「鵜の郷交流館」は地域の魅力発信やにぎわいを創出し、観光交流を促進する拠点施設だそうです。お食事スペースやお土産・ギフト売り場などがありました。

この二つに施設の近くには三陸鉄道の鵜住居駅や、鵜住居小学校・釜石東中学校があります。

 いのちをつなぐ未来館は「釜石の悲劇」を生んだ場所でもある鵜住居防災センター跡地に整備されています。「防災センター跡地碑」も建てられています。


いのちをつなぐ未来館

施設は一階建ての建物です。建物内は展示室、資料閲覧室、防災学習室に分かれています。部屋として仕切られているわけではなく、パネルなどで仕切られているので広々とした印象がありました。

展示室では東日本大震災の出来事、教訓、釜石での防災学習などの取り組みを紹介しています。釜石市が東日本大震災でどのような被害を受けたのかを、地図、写真、表などを用い解説しています。

2011年3月11日の発災から七日間、どのように命をつないでいったのかを写真や、実際の市からのお知らせやメモ書きなどの展示で振り返る展示がありました。

実物からは非常に緊迫し、混乱の中にあったことが伝わってきました。

さらに2011年3月11日14:46の発災から約二時間の津波と町の様子を時間経過とともに知ることができる映像資料もありました。

私はこの映像を見て、自分が当時どのような行動をしていたか、知っている町が飲み込まれていく様子、家に津波が来た時のことなどたくさんのことを思い出しました。

この展示室には、「釜石の悲劇」と「釜石の奇跡」についての展示もあります。

逃げきれなかった方々と命からがら逃げきれた方々の対極にあるこの二つの出来事を同じスペースで展示していることで、うまく言葉では表すことはできませんが当時の状況が生々しく伝わってきました。

生き抜いた子どもたちの記録には、当時の避難経路が細かく記載されており、それと一緒に当時の中学生と教員の証言があります。

東日本大震災を経験した人は、逃げた時のことなど自分のことと重ねて振り返ることができると思います。

一方経験していない人には、災害とは何か、命を守り逃げるとはどういうことなのかなどリアルに伝わってくると思いました。

命を落としてしまった方々の記録を見ていると、本当に辛かったです。

災害時に「安心」というものはないです。一人一人が助かる方法を考えて行動し周りにいる人たちも巻き込み逃げることで、後に「奇跡」と言われた子どもたちのような避難行動ができるのだと思いました。

この悲劇のような悲しい思いは金輪際してはいけないなと、展示を見ていて強く思いました。

資料閲覧室では東日本大震災に関する資料、寄贈された写真などを収蔵し、閲覧できる図書スペースです。

私が訪問した際には、コロナウイルス感染予防対策のため資料を閲覧することはできませんでしたが、子どもたちの防災教育の成果物などが展示されていました。

このスペース以外にも、施設内には子どもたちの防災教育の成果物が多数展示されていました。

「いのちをつなぐ未来館」が、未来を担う子どもたちの防災拠点となっている(なっていく)ということが伝わってきました。

防災学習室は企画展、ワークショップ、語り部、 地域交流などの様々な活動に対応す る多目的スペースです。このスペースには津波が起こるメカニズムを、体験を通し知ることができる「水槽津波シミュレーション」という展示があります。

自分の手を使い津波を起こし、建物がどのくらいの被害を受けるのかなどを学習することができます。一連の学習の後にはクイズも設けられています。

言葉では分かりにくいことも、自分の体を使い学習することで、より理解を深めることができると感じました。

実際に訪れることでわかることがたくさんありました。

伝承施設を調べる上ではわからなかったことを、実際に「いのちをつなぐ未来館」を訪問することで知ることができました。

母親が震災当時釜石市の中学校に勤めていたこともあり、「釜石の奇跡」の話は知っていました。しかし同じ鵜住居町でそれと対極にあるような「釜石の悲劇」と言われる出来事があったことは今回訪問したことで知ることができました。

この悲惨な出来事を知った時、悲しすぎて居ても立っても居られない気持ちになりました。

鵜住居町に暮らす人たちは、防災センター跡地にこの「いのちをつなぐ未来館」を建て、「釜石の悲劇」のを忘れず、二度と同じ過ちを繰り返さないという強い思いを感じました。

伝承施設の調査をした際に活発に活動を行なっている印象を受け今回訪問したのですが、どうして活発に活動できているのか鵜住居町のみならず釜石市の防災拠点となり得ているのかを知ることができてとても良かったです。

後半には釜石祈りのパークについてのレポートをお送りいたします。釜石祈りのパークと今回の記事で紹介したいのちをつなぐ未来館は同じ「うのすまい・トモス」というエリア内で隣接しています。ぜひ後半の記事もご覧ください。

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