東日本大震災伝承施設のうち、岩手県にある3つの施設を訪問しました。この記事では、それぞれの施設で、どのような施設か、体験できることなど、実際に訪問し感じたことをレポートとしてお送りします。まだ伝承施設を知らない人も、これから訪問する人もぜひこちらの記事を参考にしてみてください。
また、東日本大震災伝承施設については こちらの記事 を参考にしてみてください。
東日本大震災津波伝承館(愛称:いわてTSUNAMIメモリアル)
今回ご紹介する施設は、岩手県陸前高田市にある「東日本大震災津波伝承館」です。愛称は「いわてTSUNAMIメモリアル」。
岩手県最大の被害を受けた陸前高田市
施設のある陸前高田市は岩手県の東南部に位置し、太平洋に面した三陸海岸の南の玄関口。宮城県の気仙沼市と隣接し県境にもなっています。
三陸海岸南部にはリアス式海岸が続き、唐桑半島と広田半島に挟まれた広田湾の奥には陸前高田市の中心部がある平野が広がります。広田湾奥には気仙川という川が流れており、その運ぶ土砂で形成された砂州には「高田松原」と呼ばれる松原が東西に続いていました。
復興のシンボル「奇跡の一本松」
そして先ほどご紹介した「高田松原」も津波の大きな被害を受けました。
高田松原は江戸時代に仙台藩と地域住民の協力によって6200本のクロマツが植えられました。その後増林が繰り返し行われ、クロマツとアカマツからなる約7万本の松林となりました。
この松林は仙台藩・岩手県を代表とする防潮林となり景勝の一つでした。国の名勝や陸中海岸国立公園(現在は三陸復興国立公園)にも指定。たくさんの評価を受け観光地としても賑わっていました。
私も小学5年生の時にこの高田松原に行った記憶があります。大きな松林を抜けると、白い砂浜と綺麗な海が広がっていたことを覚えています。
幾度となく三陸に襲ってきた津波を防ぎ市街地を守ってきた高田松原も東日本大震災の地震により発生した10メートルを超える大津波では大きな被害を受け、約7万本あった松林は大津波によりほぼ全てなぎ倒され壊滅してしまいました。
しかしその中で唯一倒れずに残った一本の松の木がありました。この松は「奇跡の一本松」と呼ばれ震災直後から復興のシンボルとなりました。
私も震災後に何度かこの松を見に行ったことがあります。海を背に一本だけ立っている姿からは力強さのようなものが伝わってきます。震災直後は特に多くの人に勇気を与えた存在であったと思います。
しかしこの「奇跡の一本松」は周囲の土壌が地盤沈下により海水が染み込み塩分過多となったことで震災直後は健康だったものの、どんどんと育成状況が悪化して行きました。
何度も保護活動が行われてきましたが、2011年10月に再生不可能と判断されてしまいました。一度切断し内部に防腐処理を施し金属製の心棒を通すという形で保存することが決まり、2012年9月に唯一残った一本の松も一度切断され復元工事が行われました。現在はその復元工事も終わり、当時と同じ場所にまた立っています。
その後、奇跡の一本松やなぎ倒された松の一部も様々な場面で活用されています。2012年2月10日に発足した「復興庁」の本庁の看板には高田松原の松が使われているそうです。
高田松原も復旧工事が行われており、現在では植栽の工事が終わった段階にあると思います。高田松原が震災前の原風景を取り戻すには約50年かかるそうです。
50年後、私は70歳を超えていますが、その時にまた、小学5年生の時に見た高田松原の風景を見られたらいいなと思います。
東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアルの周辺
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施設の周辺には先ほど紹介した「奇跡の一本松」や道の駅、旧道の駅など様々な施設があります。それらを合わせて「高田松原津波復興祈念公園」と呼び、2021年の3月に完成予定だそうです。
約130ヘクタールという広大な面積で、東京ドーム約30個分に当たるそうです。
陸前高田市は低い土地、そして平野が広がっていたことで津波により大きな被害を受けました。そのため震災以降はかさ上げのための大規模な盛土の工事が行われています。
しかしこの盛土はしばしば復興事業の失敗と言われているのです。なぜなら依然として空き地が目立っているからなのです。
かさ上げ地で住宅の再建を諦めた住民が相次ぎ、未利用の土地が多く存在しています。違う記事にはなりますが、私がインタビューで取材を行った方の中にも、以前陸前高田市に行った際にまだ復興途中と感じたと言っていました。
その言葉通り、施設周辺にも広い空き地が続いていました。しかしその広い土地を活かした運動公園やサッカー場、球場も出来ているようで、これからの活用に期待ですね。
その他にも大型複合商業施設である「アバッセたかた」があります。2017年にオープンし、今でも多くの住民が集っています。
私も何度か行ったことがありますが、スーパーやドラッグストアなどのお店に加えて、陸前高田市で昔から親しまれているお店なども多数あり、とても賑やかな施設です。
そして「アバッセ」という言葉はこの地方の方言である「あばっせ」というものに由来します。「あばっせ」とは「一緒に行きましょう」という意味で、たくさんの人々が互いに誘い合い、訪れ、笑顔の集う場所になってほしいという想いから命名されたそうです。
伝承施設に訪問する際には、ぜひこちらの施設にも立ち寄ってみてください。