「復興」ってなんだろう

東日本大震災伝承館レポート③-1陸前高田市「東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)

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東日本大震災伝承施設のうち、岩手県にある3つの施設を訪問しました。この記事では、それぞれの施設で、どのような施設か、体験できることなど、実際に訪問し感じたことをレポートとしてお送りします。まだ伝承施設を知らない人も、これから訪問する人もぜひこちらの記事を参考にしてみてください。

また、東日本大震災伝承施設については  こちらの記事  を参考にしてみてください。

東日本大震災津波伝承館(愛称:いわてTSUNAMIメモリアル)

いわてTSUNAMIメモリアルは先ほど紹介した「高田松原津波復興祈念公園」内にある伝承施設です。この施設の隣には「道の駅」。奥には「献花の場」や「追悼の広場」。もっと奥に進むと高田松原を眺めることができる「海を望む場」があります。

伝承施設の前にこちらの「献花の場」や「海を望む場」にも行ってきました。

平日でしたが多くの方々が来場されており、新しく出来た施設ということもあり地域住民の方に親しまれているのだなと感じました。施設の外観も美術館のような綺麗な見た目をしており、その見た目からか私の知り合いなども多く足を運んでいるところをSNSでよく見ていました。

私もいつかは行ってみたい施設だったので、今回訪問できてとても良かったです。

「海を望む場」からの景色はとても綺麗でした。植栽された小さな松たちと青い海。工事をしている現場なども見えるので、ここから高田松原がまた出来上がっていくのだなと感じることができました。

伝承施設は一階建ての広々とした施設でした。こちらの施設では主にパネルや展示物、写真、映像により震災について記録しています。

エントランスでは公園、陸前高田市、三陸沿岸地域、3.11伝承ロード等の情報を提供していました。

施設内に入ると「ゾーン1歴史をひもとく」から始まります。このゾーンでは津波災害を歴史的・科学的視点からひもとき、「自然とともに暮らす」ということを再度見つめ直しています。

津波の起こる仕組みについて解説するパネルや「津波堆積物剥ぎ取り標本」というものがありました。津波とともに運ばれ堆積した砂や礫を「津波堆積物」と言います。津波堆積物の溜まった年代を推定することで、過去の津波の発生時期や間隔を解明することができるのだそうです。

この標本からは、本当に昔から三陸地方というのは津波という災害の脅威に晒されてきたということがわかりました。

過去30日間に起きた世界中の地震を可視化している映像もありました。

「ゾーン2事実を知る」では実際の被災物、被災の現場を捉えた写真、被災者の声などを通し東日本大震災の事実を見つめることができます。

こちらは被災した消防車です。消防団や警察、市役所で働く人・・・など、震災当日、自分たちだけではなく、人々の命を救うために尽力した方々がいることをご存知でしょうか。

消防団は発災直後から強い使命感のもと、訓練通りに水門を直ちに締め、避難誘導、消化活動、救助活動などに尽力しました。そのために殉職した消防団員もいます。

この被災した消防車からは、命をかけて地域住民を守っていたことが伝わってきます。

(写真複数)

先ほどの被災した消防車以外にもたくさんの被災物が展示されています。

折り曲げられたバス停の看板や「津波注意!」「津波想定浸水区域」と書かれている標識からは、当時の悲惨な様子が伝わってきます。

こちらの写真は隣の市である大船渡市赤崎町の震災以前以後の写真です。そして私の地元です。

こんなところだったなあとか、ここに田んぼがあったなあとかたくさんのことを思い出しました。他にも色々な被災した町の震災以前以後の写真を見ることができます。

こちらは被災者の生の声を記したものです。津波の脅威をダイレクトに伝えてくれました。悲しい気持ちになってしまうものも中にはありましたが、この気持ちは絶対に忘れてはいけないと感じました。

東日本大震災津波伝承館(愛称:いわてTSUNAMIメモリアル)

陸前高田市は私の地元である大船渡市の隣の市だったので、昔からよく遊びに行っていました。隣の市ということもあり、震災当時の様子や陸前高田市で被災した友人もいたので他の被災地よりも身近に感じておりました。

しかし今まで訪問した大槌町や釜石市もそうですが、市やまちが変わると復興の様子は全く違います。身近に感じていた分、久しぶりに訪れてみた陸前高田市と地元の違い(良し悪しなどではなく)に少し驚きました。

私の地元である大船渡市は平地が少なく高低差がある土地なため、所々かさ上げ工事は行っていますが陸前高田市ほど大規模なかさ上げ工事は行っていなかったと思います。良かれと思って行っていたことが、年月が経ってみると「失敗」と言われてしまったり…。

高田松原の再建には50年という長い年月を要するように、完全な復興・再建は10年という期間では足りず、新しい町の様子が見えてきたり、その分課題も浮き彫りになったりと、復興はまだまだこれからなのだなと強く実感しました。(震災当初私は、10年後には元に戻るのかなと思っていました…。)

後半では、伝承施設の「ゾーン3教訓を学ぶ」というゾーンの訪問記と、3つの伝承施設を訪れてみて感じたことのまとめをお送りしたいと思います。

特にこのゾーン3では他の2つの伝承施設では知ることができなかったことについての展示が多くありました。恥ずかしながら、私自身10年経って初めて知ったことも多かったです。

最後の訪問レポート記事ですので、ぜひご覧ください。

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