震災から10年。子どもから大人へ。

2021年に成人を迎える方へのインタビュー

インタビュー記事では3人の方にインタビューを行いました。それぞれの立場から、東日本大震災について当時のこと、復興、これからのことなどをお話ししてくださいました。10年間を、遠い地域から一番近くで見てきた方。10年の間に「子ども」から「大人」になって思うこと。などなど。自分の立場と重ねて読んでみてください。

他のインタビュー記事は こちら からご覧いただけます。

東日本大震災当時、10歳だった子どもたちは震災から10年の年に20歳を迎えます。震災当時子どもだった方々が10年経ち大人の仲間入り。あっという間に過ぎたように感じた10年は振り返ってみると子どもから大人に変わるくらいの月日の流れだったのだと感じます。

今回のインタビューでは2021年に20歳を迎える現在大学1年生の藤田さんにお話をお伺いしました。藤田さんは岩手県の北上市出身。内陸ということもあり、地震や津波はテレビ等を通じで見ていたそうです。

周りが被災をしていないため、震災当時小学生だった藤田さんは被災者とはまた違う制限がある中で暮らしてきました。また被災地に行って感じたことなど、この10年を振り返ってお話をお伺いしました。

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震災当日のことを振り返る

私の震災当時のことをはじめに少しだけ話します。

震災当日、私は小学校から帰宅していて家に一人でいました。その時に地震がきて犬を連れて山に逃げました。逃げた先で友達や近所のおばあちゃん。そして姉たちが通っていた中学校の方々に会い、その方々と高台のお宅にお邪魔して一晩過ごしました。その晩、お父さんと再会、次の日あたりにお母さんとおばあちゃん、妹に再会しました。そのあとは親戚の家で二週間。被災した自宅の一階を直しながら自宅の2階で何ヶ月か過ごしていました。

私の周りの友達はみんな沿岸部出身で、内陸の当時のことを聞く機会は今まであまりありませんでした。内陸の震災当時の様子はどのようなものだったのでしょうか。

藤田「私は岩手県の北上市出身です。内陸の方だったので地震だけで津波とかは経験していません。」

藤田さん自身、津波を経験していないため、あまり津波のすごさとかは知らないとおっしゃっていました。

藤田「震災当時はお父さんが単身赴任していていなくて、お母さんも仕事で遠くに行っていて誰もいなくて迎えとか来れなくて。当日の夜は確か、友達の家で過ごしていました。」

藤田さんは記憶を辿るように話していました。私も当時のことをはっきりとは思い出せなくなってきており、あんなに衝撃的な出来事だったのに、10年も経つと薄れてきてしまうのだなと、時間の長さを感じました。

藤田「小学校に迎えにきた親とかが生中継で津波の映像を見ていたんです。それを見てすごい衝撃を受けた記憶はあります。」

私も何度か津波の映像を見ました。未だに、街を飲み込む津波を見ると本当に恐ろしくなりますし、もう絶対に経験したくないと思います。また、私は実際に津波を見ました。海の底が見えるくらいに波が引いた海の様子を見たときは大げさではなく「終わりだな・・・・」と、すごい衝撃を受けました。そしてどんどん波が高くなり街の中に流れ込んでくる津波は本当に「街を飲み込む」という表現がぴったりでした。

内陸の方は津波の被害はなかったと思いますが、地震の被害はどのくらいだったのでしょうか。

藤田「そこまで周りで大きな被害はなかったです。でも道路のブロックとか崩れたり、電気が止まったりしました。あとガソリンとかも。すごい行列に並びました。スーパーも電卓とかで計算してお会計などしていた記憶があります。携帯電話とかスマートフォンは車から充電していました。」

もどかしさ

津波の被害はなかったとはいえ、ライフラインは相当な被害を受けたようでした。自分も周りも無事なのに、でも大変で。そこにもどかしさとかもあったのかなと思いました。

そこで争いなどはあったのでしょうか。

藤田「多分あったと思います。スーパーとかは元の値段より結構高くなっていました。そういうことでも大変だったと思います。」

私は辛さは比べるものではないと思っているので、当時を経験したみんなが、本当に辛く大変な時期を過ごしていたと改めて思いました。そのような時間はどのくらい続いたのでしょうか。

藤田「食料がないなどありましたが、電気とかはすぐ復旧したので一週間くらいですぐ生活できるようになりました。でもテレビとか面白いことはやっていなくて、ずっとニュースとかだったし。小学生だったからつまんないなーと思っていました。」

被害がないのに(世間的にも)特に遊ぶこともできないし、一人でテレビとか見てもつまんないとかいう時期はどのような気持ちだったのでしょうか。

藤田「地震や津波があったことはわかるけど、被害がないからすごい他人事みたいな感じでした。同じ県で起こっているのに、テレビでしか見たことないから。」

私も他の地域で災害が起きても大変な事態ということは理解できるのに、今自分の目の前は何も起きていない。すごい他人事というか、そのような気持ちになります。ボランティアや寄付とかも難しいこともあります。そう思っているうちに、現地では大変なのに忘れていってしまうし、みたいな。だからそれは誰でもそうだと思いました。ましてや小学生。自分のことで精一杯なのにそれに加えて周りが大変。どう気持ちを持てばいいのか難しいなと思いました。被災していないとはいえ、薄っぺらい言葉になりますが大変だったんだなと思います。

被災者と接すること

自分自身は被災していないということでしたが、周りで被災された方はいたのでしょうか。

藤田「高校に入ってからは、沿岸から来る人もいたので、あまり親しいというわけではありませんが、被災された方は身近にいました。その人は明るく話していましたが、教科書や部活の道具とかが全部なくなったこととかを聞いていました。」

コミュニティが大きくなると色々な人に出会います。私も中学生や高校生の時までは割と周りの友達は何かしら被災していたので空気感とかは一緒でした。大学生になってから、全然震災を経験していない人とかにも出会うようになり、気遣いされたり、逆に無神経な発言に嫌な気持ちになったりしたことがありました。藤田さんの周りでも沿岸から来た人に対する気遣いとかしているなあと感じたことなどあったのでしょうか。

藤田「特にそんなことは感じませんでした。差別とかそういうのはもちろんなかったですし、私自身も普通の友達としてみていました。」

藤田さんがそのように接していた理由などはあるのでしょうか。

藤田「すごいなと思っちゃいます。かわいそうとかそういう気持ちになる前に、尊敬というか、本当にすごいなと思います。本当に何もなくなって、でも今普通に私たちと同じように高校に通えてることがすごいと思うんです。すごいと思うというか、自分は苦労しないで入っているのに、震災で家族とかも失った人とかもいるのに。」

私自身は、あまり被災地出身だからといって気遣いをされるのが苦手です。当時はもちろん大変でしたが、それはみんな一緒だと思うし、今は普通の生活ができているので、今の私とは最初から普通に接して欲しいなと思っています。なので、藤田さんの周りのようにかわいそうとか思わず接していることはとてもいいなと思いました。

復興の様子を見て考えること

東北各地の被災地が復興する様子や事業をテレビ等で度々放送されていたと思います。そういうのを見て思っていたことはあるのでしょうか。

藤田「高校の時に部活で沿岸に練習試合とかで行きました。被災地は高校やスーパーも新しく建設されていたりするけれど、周りはなにもない。新しい施設ができているけど、本当に復興しているのかなと思っていました。海の近くにまた住む人いるのかな、戻ってくる人とかいるのかなと思っていました。

ニュースで明るいことを報じるからそう思っていたけど(進んでいると思っていたけれど)何が復興なのかが本当にわからないです。10年も経ったのにあれだと復興していないと思うし。遅れているといいますか、どこまでが復興なのかがわからなかったです。」

藤田さんは陸前高田市に行ったことがあるそうです。確かに陸前高田市は平たい土地ということもあり、なかなか元の市街地にまた住むということは難しいのかもしれません。家も少ないですし、空き地がすごい目立っていると思います。また、10年は私も色々進むと思っていました。お金がないとか色々あるのかと思いますが、新しい校舎の建設が私が大学に入るときに終わりまた。中学校は仮設校舎だったのですが、仮設校舎は3年と聞いていました。でも6年くらいは使っていて、そういう点でも全然進まないって思いました。

復興支援系の活動はしたことあったのでしょうか。

藤田「特にしたことはないです。でも、ちょっとの物を送るとかは自分でできるとは思いました。少しでも助けてあげればよかったのかなと思います。」

行動を起こすのはとても大変だと思います。私は今でも身近なこと以外はやっぱり行動を起こせなかったりします。しかも、藤田さんのように小学生だったのならなおさら難しいのではないでしょうか。でもその気持ちだけで、当時の人たちはとても嬉しかったと思います。

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